形成外科の歴史

美と健康を重んじる芸術

世界地図とWAR

インドで生まれたこれらの医療技術はギリシア、ローマ、アラビアへと伝わり、 医学の発達したギリシア、ローマ時代には美と健康を重んじる 芸術として形成外科手術が尊重されていました。 中世キリスト教会の支配下では外科手術は穢れたものとして廃れていましたが、 ルネサンス期のイタリアで鼻の欠損に対して腕から皮膚移植する施術 (イタリア法)が発表されました。 19世紀初頭から医学の他の分野の発達により、欧米各国で形成外科手術 が盛んに行われるようになりましたが、近代的な形成外科の発達は 第一次世界大戦の時に飛躍的に進むことになります。

第一次世界大戦

第一次世界大戦では戦車や戦闘機などの近代兵器が次々と開発され、 次々に戦争へ投入されました。 それまでの戦いとは違って高度に機械化された戦場では、大型の大砲から 発射される榴弾や機関銃が多用されることになります。 前線の兵士は塹壕に隠れて戦うことになるのですが、首から上はどうしても 露出を避けられないためにその部分への被弾が多くなりました。 顔面外傷、顎骨骨折、広範囲組織欠損といった戦傷を負う兵士が非常に 多かったのです。 この戦争でイギリスは他国に先駆け、兵士の顔面創傷の重大さを認識し、 専門の病院を建設して治療にあたりました。

ハロルド・ギリス

それまで顔面創傷に対する治療といえば他の傷と同様に縫合手術を するだけでした。 ですがこれでは縫縮による皮膚の収縮、傷が癒える過程で傷周辺の皮膚の 収縮など、顔面の変形を生じさせてしまいます。 そこでイギリスは帰還後の兵士達の生活を考え、顔面の傷をできるだけ 元の状態に復元するため、皮膚移植法などの方法を開発します。 これが医療分野としての形成外科を確立することに繋がり、 このとき中心となって活躍したイギリス軍の軍医ハロルド・ギリスは、 近代形成外科の父と呼ばれるようになりました。